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タヌキぼーやの能・狂言を見に行こう


「松江城薪能」を見に行く[4]「島根県尽くし」とパンフレット

日時
2008(平成20)年09月21日(日)17:45頃開演(20:15頃終演)
会場
松江城 馬溜 特設舞台(松江城山公園/島根県松江市殿町1-5)
演目
仕舞「石見銀山(いわみぎんざん)」浦田保浩(シテ方観世流)
狂言「千鳥(ちどり)」茂山逸平(狂言方大蔵流)
能「大社(おおやしろ)」井上裕久(シテ方観世流)
公演情報
http://sanin-noh-kyogen.info/log/20080921.html

承前

今回の番組,「石見銀山」は島根県にあり,「千鳥」は松江城の異称.「大社」は地元島根県出雲国を舞台地とする曲で,加えてチラシやパンフレットによれば,松江松平藩2代藩主・綱近の家督相続祝いに江戸藩邸で上演されたとあります.このような具合に,まさに「島根県尽くし」でした.特に「大社」は,頻繁に上演される曲ではないそうですから,この地方の公演だからこそ見ることができた曲とも言えそうです.加えて,「大社」のような脇能が持つ祝言性は,能という藝能が古くから持ち続けてきた重要な性格のひとつです.脇能の存在とその意義を広く知らせるという点でも,この曲を上演した意味は決して小さくはないと思います.

ただ,「松江開府400周年記念」と冠して「松江城薪能」を企画するのであれば,演目を「千鳥」と「大社」の2番に絞って「松江尽くし」を企図した方が,催しの趣旨にはよりよく合致したのではないでしょうか.「石見銀山」については「御当地もの」の脇能として,これからも折に触れて再演して欲しい曲ですが,今回の薪能で取り上げるには蛇足ではなかったかなと思います.また,能が「石見銀山」「大社」と脇能ばかり2番となってしまったために,(一方は仕舞という略式上演であるとは言え)番組の印象がやや単調になった感がなきにしもあらず.

会場で配布されたパンフレットは,番組のほかにはチラシとほとんど同じ文面の解説が載っているだけだったのが残念でした.

松平綱近の相続祝いにおける「大社」上演の典拠については,チラシ等を通じて観客に明示されないままになっていましたので,せめてパンフレットで典拠を挙げて番組の企図を明らかにすれば,松江の歴史,能と松江藩主とのかかわり,ひいては松江開府400年祭や能そのものに対する観客の関心を,さらに広げることができたのではないでしょうか.

同じく「大社」に登場する十羅刹女や龍神に関しては,今日私たちが思い浮かべる出雲大社像とは結びつきにくい存在と思われます(かく言う私も実はピンと来ません).せっかくの当地ゆかりの能ですから,この曲を地元の人にとってより親しく感じてもらうためにも,解説で何らかのフォローをする必要はあったかも知れません.

松江市鹿島町の佐太神社に伝わる佐陀神能に,今回の能と同じ「大社」という名の曲があります.佐陀神能の「大社」は,舞台地と後シテが佐太神社の佐陀大神に置き換わっている点と,十羅刹女が登場しない点を除いて,能「大社」とほぼ同一のストーリーを持っています.こうしたことに着目して,プログラムの解説で話題を掘り下げる道もあるでしょう.まあそこまで深い話にしないまでも,「この能が作られた時代の人々が共有していた出雲大社の姿を思わせる......」くらいの一文があってもよかったと考えています.

基本的に,狂言の解説でストーリーの結末を書いてしまっては面白くありません.推理小説を読む人に「誰が犯人か」を教えるようなものです.過去に「千鳥」を見たことがある人や,事前に台本を読んでくる私のような者(笑)にとってはどうってことはありませんが,初めての人には「見てのお楽しみ」にとどめて欲しいところです.

それにしても,1つの公演でここまで長文を書いたことは今までにありませんでした.私自身の将来の夢として,地元の能・狂言公演の広告デザインは勿論,公演の企画・制作にも,一観客の立場から一定のかかわりを持ちたいという希望がありますので,「島根県尽くし」の番組によって地元色あふれる企画となった「松江城薪能」は,絶好の考察対象なのです.私ならどんな公演を企画するか......構想の断片くらいはあります.いずれ何らかの形でお話しするとしましょう.

(おわり)



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